油菜栽培地跡

この栽培地跡は当時、尊徳所有の土地で、伯父万兵衛宅での夜間の
勉学に必要な灯油のことを心配した尊徳が、享和三年(1803年)の秋
分けてもらった五勺程(90cc)の油菜の種を蒔いた所である。
翌年の春、七升(12.6リットル)程の菜種が収穫できたので隣村の油屋
嘉衛門の店にいって灯油にかえてもらい、夜間の勉学に備えたという。
尊徳は捨苗栽培の時と同様、この油菜栽培の経験からも積小為大(小
を積んで大と為す)」という自然の法則を体得したのであった。
                     小田原市教育委員会