二宮尊徳先生の墓


 二宮尊徳先生は、天明七年(1787)7月23日栢山の
中流農家に生まれたが、幼少の頃、酒匂川の洪水で家は
貧困に陥り、十四歳で父を、十六才で母を失った。
以後、彫苦勉励して家を再興、また抜群の才幹と卓越した
人格によって、各地方の財政復興と社会救済に偉大な業
績を遺し、すぐれた報徳の教えをたてて後世に伝えたので
ある。そして、安政三年(1856)10月20日、日光神領
復興仕法中に栃木県今市の報徳役所で、その偉大な70
年の生涯を閉じ、同地の星頭山如来寺に葬られた。
この時、先生最後の病床に侍していた実弟三郎左衛門
(幼名友吉)が、遺髪と遺歯を抱いて10月26日故郷に
帰り、当時の二宮総本家の墓地の中に埋葬したのがこの
墓である。「葬るに分を越ゆるなかれ」とは。、門下に残し
た遺言である。
「誠明院功誉報徳中正居士」とあるのが、先生の戒名で
ある。   如意山善栄寺

二宮尊徳翁の墓 善栄寺