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実践報徳001号 2011-04
   「二宮尊徳先生を偲ぶ集い」に参加して

小田原報徳実践会会長 田嶋享

昭和30年、尊徳翁の墓前祭としてスタートし、平成14年からは「偲ぶ集い」と改め9年。今年も10月16日、小田原市栢山の善栄寺にて小田原市の加藤市長を始め約150名の方々がお集まりになり盛大に執り行われました。

 今、小田原では尊徳翁の教えが再認識されつつあり様々な部分での活性化の礎となっております。席上、加藤市長からも「どんな人にも徳がある。どんな所にも徳がある。たとえ小さい事でも、見えにくい所でも皆が力を合わせれば“まち”は活気を取り戻すことができます。沢山ある小田原の歴史や文化を子供からお年寄りまで一緒に探し出していこうではありませんか。それこそが今、市が提唱している『無尽蔵プロジェクト』なのです。実践を旨とした金次郎さんの考えを未来に残し伝えていく為にもこの様な機会を今後も末永く継続していって頂きたい。」とのお話を戴きました。

 当日の午後には尊徳記念館中庭にて私達が主催する『報徳楽校』の10月プログラムとして児童36名と保護者の方々による野菜とお米の実践販売体験を行いました。5月から子ども達が種まき、田植えから収穫まで携わったお米や野菜をスタッフの皆さんと相談し仕入値に見合った売値を決め一生懸命販売する姿は訪れた多くの方々の注目を集めました。

 

 尊徳祭の記念式典に来賓としてお越しになった松沢成文神奈川県知事にもお買い上げ頂き、準備したお米、サツマイモ、ナス等は全て完売、各グル―プ共に少額ではありますが利益を生むという好結果につながりました。子ども達にとりましても得難い経験になったものと思われます。偲ぶ集い共々、次年度以後もより充実させていきたいものです。

 
   寄稿             井上成一

 去る5月9日報徳博物館で、二宮尊徳先生研究と普及に大変な功績を遺された佐々井信太郎先生並びに佐々井典比古先生父子を偲ぶ会が開催されました。その際、私は皆様に次の様なお話を致しました。

 私の父英一は小田原中学の出身であり小田原市会議員を2期勤めさせて頂き、晩年は小田原史談会会長として両先生と種々交流をしておりました。私と佐々井典比古先生との初対面は平成3年1月でありました。その前年に日本で最初のODA援助の学術的研究学会として国際開発学会が発足し、その初代会長の大来三郎氏の御推薦で論文(二宮尊徳構造理論=ヒューマンカルテの初期の題名「生成発展の社会分子構造」)を第一回総会で発表致しました。その時、臨席されていた韓国の延世大学の朴教授から、この新しい理論を是非当大学で講演をとの要請がありました。聞くところによりますと先方の大学の図書館には二宮尊徳先生の本が皆無とのことで、その際10冊の本を寄贈することを約束致しました。そして、佐々井典比古先生に御相談に伺いました。先生は以上のことを聞かれ大変喜ばれ、種々ご指示を賜りました。そして訪韓に当たり「一円融合会の理事として韓国の皆様に二宮先生のお話をして下さい。そして、訪韓の前に是非佐藤彰氏に会うように」とのお話でした。ご指示通り兵庫県倉敷市にご在住の氏に面会し、伺ったのが以下の驚きと感動のお話だったのです。

『私は、戦前、戦中は現在の韓国にあった小学校の先生でした。修身の時間に二宮金次郎のお話をしておりましたところ、突然教室の片隅で大声を上げて泣いた生徒が居りましたので、その生徒を呼んで何故泣いたのだと問い正したところ、先生の二宮金次郎さんのお話を聞き、「私は全く金次郎さんと同じ境遇だと知りました。父は3年前に亡くなり母が朝早くから夜遅くまで田畑で働いています。私は往復四里の道をこの学校に通っております。家に帰ればまず母の手伝いをして勉強は夜、皆が寝た時にしています。」との事でした。良く見ればその生徒の顔は鼻汁でグシャグシャで両手の指はアカギレで血が滲み出ている状態でした。私はその時直感的に「この子はモノになるな」と思い、以後機会ある度にその子を呼んで二宮金次郎の一生を話しました。私はこの事を昭和20年の終戦後のゴタゴタで忘れてしまい、私の故郷である倉敷市に帰って参りました。それから何十年も経ったある日、突然韓国の外務省より一通の封筒が届きました。開けてみて驚きました。その当時の韓国の大統領ノ・テウ氏より、大統領就任祝賀式に是非出席して下さいとの招待状でありました。夫婦で訪韓したところ、大統領は何と数十年前、私の二宮金次郎の話に声を上げて泣いたあの生徒だったのです。大統領は私たち夫婦を隣の席に座らせて、何百人もの招待客の方々に向かって次の様に話されたのです。「皆さん、今日の私が皆様より大統領としてお祝いを受ける事ができますのも、私の隣におられる佐藤彰先生のお陰です。私が小学生の時に日本の二宮金次郎さんのお話をして戴きました。私はその時感極って泣き出してしまいました。それから私は発奮致しました。そのお陰で今日私二宮金次郎先生の行く処、国境や民族の違いはないと痛感致しました。』以上が、その時佐藤彰氏から伺ったお話です。この感動の内容を私は終生忘れる事はありません。 

報徳楽校の活動報告

報徳楽校はこれまでに6回の活動が終了し、児童・保護者・スタッフとも親しく話ができるようになってきました。毎回違う体験活動ですが、スタッフの意図を児童、保護者とも的確にとらえてくれてそれぞれの動きがスムーズになってきています。7,8,9月の活動をご紹介します。

7月25日第6回金次郎生誕祭に参加
生誕祭の前に尊徳記念館展示室を見学し、各チームで金次郎クイズを考えました。発表で出てきたクイズには良く学んだ様子が伺えます。たとえば、1.飢饉のとき「一番大事なのは○○を救うことです。」○○とは?  2.記念館にある金次郎の手紙は何通?  3.金次郎何歳で家を離れ/何歳で独立した? などなど、しっかりと調べないと分からない出題がありました。答えは、1.飢えた人々  2.14通  3.17才/19才で独立です。自ら考えた出題を競うので大いに盛り上がった生誕祭となりました

子ども達の発表の後は、二階正先生から「金次郎さんの教え」と題して授業を受けました。わらじを編んで配ったこと、みんなで話し合う機会をつくった芋こじ、すべてのものに感謝を、親孝行とは、等々イラストを見ながらの分かりやすい講演で、児童は、眠る者も騒ぐ者もなく熱心に聞き入っていました。この活動で、金次郎さんを身近に感じ、金次郎さんが何を考え、どんな努力をしたのかを自分ことのように考えてくれたなら主催者として嬉しい限りです


   

 


 8月22日森の探検と木工クラフト

暑い一日でしたが、地元炭焼きの会の皆さんのご協力で森を歩きました。森は命の源、様々な生き物が棲んでいる場所であり、そこを歩きながら木々や生き物を観察することは、「様々なものがつながって生きている一円融合の世界を体験することになるはず。」との狙いで、企画段階では安全確保に悩みながらも森の探検を実行しました。 
森の中で見つけたトカゲが手に乗ってきて皆で観察し離してやったこと、珍しいタマムシを捕まえ「見るビン」を使い皆で観察してから離してやったこと、セミの這い出した跡等々多くの体験をして無事に到着しました。
午後からは親子で木工クラフト作りです。出来上がった作品はどれも個性があり、作品をスライドにして大スクリーンに映し出されると、恥ずかしそうにしながらも作品名を発表してくれました。普段何気なく見過ごしている落木や葉っぱなど、一度クラフトで使ってみると愛着が湧いてくるものです。狙いは「それぞれに良さがあることを知る。」でしたが、きっと子ども達の実体験として心に残ったものと思います

 

 9月26日稲刈りと収穫祭

秋雨前線の接近で雨が降り続き、計画した日曜日に実施できるか心配しながら迎えたこの日、朝から秋晴れの天気になりとてもさわやかな気候のもとで稲刈りを実施しました
子どもたちは、始めは慣れない手つきで刈り取っていましたが、次第に上達し休む暇も惜しんで熱心に作業を行いました。コンバインが動き始めると刈り取った稲を近くまで運びましたが、この作業でも遊ぶ者なく皆の一生懸命さが良く出ていました。稲束を運んでいる様子が楽しそうですね。一つの事に熱中して動き回る子ども達は実に微笑ましい光景で、活動に加わったスタッフ一同幸せな感覚を味わえたものです。
 
 一段落したあと、スタッフの杉田さんが昔ながらの足踏み式脱穀機、唐箕(とうみ)を持ち込んで実演と体験をさせてくれました。こんな体験は貴重ですので、きっと良い思い出になったことでしょう。午後は報徳農場に場所を移し親子でバーベキューをして収穫を喜びました。この日収穫したお米は、修了式に皆で分けます。5月には小さな苗が9月にこんなに大きくなり沢山の収穫ができたことから、積小為大の精神を学び、心に刻んでこの日の活動を終了しました。